吉岡明子・山尾大編「「イスラーム国」の脅威とイラク」

人質事件で日本国内においても注目を集めている
イスラーム国について知るために、最近出版された
「「イスラーム国」の脅威とイラク」を読んでみました。

なぜ「イスラーム国」はここまで脅威となっているのか。
なぜイラク第二の都市モスルは、あっという間に陥落したのか。

その質問に対する答えには、多分、簡単な答えと複雑な答えの二つが
あると思いますが、この本は簡単な答えを教えてくれます。

その簡単な答えは、イラク軍が信じられないくらい
「弱い」ということです。
どの程度「弱い」のか。
以下、引用します。

「モスルには数万人規模のイラク軍が治安維持のために
駐留していた。にもかかわらず、国軍の兵士は数千人規模の
「イスラーム国」による急襲の前に、なす術もなく崩れ去り、
軍服を脱ぎ捨てて離散した。警官もその後に続いた。
「イスラーム国」は国軍や警察の重軽火器をまるごと奪った。
こうして、イラク第二の都市はわずか二四時間足らずのうちに
陥落した。」

しかも、その「弱さ」は特段複雑な背景があってのものではなさそうです。

「モスル陥落の根本的な原因は、当初しきりに主張されたこと、
つまりマーリキー政権がスンナ派を冷遇したことでも、
宗派対立でもなかった。なによりも、CPAが再建に失敗した軍や
治安機関が放置されたままであったことが問題であった。」

ただ、再建に失敗したという説明もまゆつばです。

「クルディスタン地域政府の軍隊ペシュメルガを率いるジャッバール・ヤーウィル
大臣官房は、モスル陥落の最大の要因は、2004年以降イラク軍の再建が
完成しておらず、脆弱な状態にあったことに求められる、と明言している。」と
ありますが、総兵力22万人とも言われるペシュメルガもこんな状態だからです。

「モスル陥落からおよそ二カ月後、バグダードを攻めあぐねた
「イスラーム国」は、イラク・シリア間の支配地域の確立や、
ダムや油田といった戦略拠点の攻略を狙って、ペシュメルガの支配地域へと
矛先を変えた。それまでもディヤーラー県などでは、「イスラーム国」と
ペシュメルガの間で、散発的な戦闘は起こっていたが、八月二日頃からは
「イスラーム国」側がモスル周辺で本格的な攻勢をしかけ、不意を衝かれた
ペシュメルガは次々と撤退する。三日にはモスル東部のスィンジャール、
ズンマール、ラビーアなどを陥落させ、さらに六日から七日にかけては、
バルテッラ、バアシーカ、カラクシュといった、モスルの北東部や南東部の
町も制圧するに至った。一時はモスル・エルビール間でペシュメルガの
防衛ラインがかつてのグリーンラインまで下がり、主都エルビールの防衛さえも
危ういのではないかという危機感が瞬く間に広がった。」

この名状しがたい「弱さ」は、一つのことを想起させます。
中東戦争におけるアラブ諸国の弱さです。
たとえば、イスラエルが独立を宣言した1948年、ろくな兵器を持っていなかった
イスラエル軍3万人を相手にして15万人以上の兵力を有していたアラブ側が
負けています(第一次中東戦争)。
また、第三次中東戦争では、イスラエルとエジプト、シリア、イラク、ヨルダンが
戦い、たった6日間でイスラエル側が支配地域を4倍にまで拡大しました。

それにしても、数千人規模の武装勢力を前に数万人の軍隊が
軍服を脱ぎ捨てて逃げていくというのは、にわかに信じがたい話です。
ただ、アラブはまだ「前近代」の状態にあるのではないかとの仮説を立てみると
了解可能となります。
前近代国家は、近代国家に比べると徹底的に弱いからです。
たとえば、アヘン戦争では、3億人の人口を支配していた清が、
1万人以下のイギリス軍を前にして、なすすべもなく屈服しています。

アラブはまだ前近代の状態にある。
これが、なんだか馬鹿馬鹿しくなるような「真実」なのかもしれません。

「イスラーム国」の脅威とイラク「イスラーム国」の脅威とイラク
(2014/12/26)
不明

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