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光市母子殺害事件判決の反対意見

光市母子殺害事件に関する最高裁判決が裁判所ウェブサイトに
アップロードされています。
報道されているとおり、宮川裁判官の反対意見が付されています。
宮川裁判官は、次のとおり述べています。

「被告人の精神的成熟度が相当程度低いということが認定できるので
あれば、本件犯行の犯情(計画性、故意の成立時期等)及び犯行後の
行動に関わる情状についての理解も変わってくる可能性がある。
本件は、被告人の人格形成や精神の発達に何がどのように影響を
与えたのか、犯行時の精神的成熟度のレベルはどのようなものであったか
について、少年調査記録、B鑑定及びC鑑定を的確に評価し、
さらには必要に応じて専門的智識を得る等の審理を尽くし、
再度、量刑事情を検討して量刑判断を行う必要がある。
したがって、原判決は破棄しなければ著しく正義に反するものと
認められ、本件を原裁判所に差し戻すことを相当とする。」

これに対し、金築裁判官は、補足意見において、次のとおり反論しています。

「人の精神的能力、作用は極めて多方面にわたり、それぞれの発達度は
個人個人で偏りがさけられないものであるのに、果たして、そのような
判断を可能にする客観的基準や信頼し得る調査の方法があるのであろうか。
少年法51条1項が死刑適用の可否につき定めるところは18歳未満か
以上かという形式的基準であり、精神的成熟度及び可塑性の要件を
定めていない(中略)精神的成熟度は、いわゆる犯情と一般情状とを
総合して量刑判断を行う際の、一般的情状に属する要素として位置づけられる
べきものであり、そのような観点から量刑に関する審理・判断を行った
原審に、審理不尽の違法があるとすることはできないと考える。」

宮川裁判官は、精神的成熟度が低いのであれば死刑に処するべきではない
(だから差し戻して精神的成熟度の程度を調べさせるべき)
と考えているのに対して、金築裁判官は、精神的成熟度なる
よく分からないものを死刑適用の有無の決め手にすべきではない
(だから差し戻しの必要はない)と考えているようです。

ここから先は私の感想です。

刑事責任というものの根源を考えると、宮川裁判官の考えは分からなくはありません。
しかし、精神的成熟度のような実質的評価基準を持ち出して、
人の内面に踏み込んでいくと、すぐに「自由意思」、「自由な主体」、「責任」という
ものは、ある意味フィクションにすぎないという哲学的問題に突き当たってしまいます。
また、2010年の矯正統計によれば、犯罪者の大半のIQは100以下であり、
知的障害者とされるIQ69以下の者も約23%います。
精神的成熟度のようなものを持ち出すと、こういう人たちの責任をどう考えるのかという
話に飛び火しかねません。
刑事法の根底が揺らいでしまうわけです。
ですから、精神的成熟度のようなものを死刑適用の有無の基準とすべきではないという
金築裁判官の意見は、司法の運用者の考えとしては良く理解できます。

刑事系の話というのは、突き詰めて考えるとすぐに難しい話になってしまいますね。


責任という虚構
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