Googleが便利すぎてヤバイ

アニメ「千と千尋の神隠し」では、主人公の千尋が
名前を奪われて、風呂屋を経営している魔女に
支配されてしまいます。
他にも、他人・他存在の「真の名」を知ることが
その者を支配することに繋がるとする物語は数多く存在します。

ところで、Googleの新プライバシー・ポリシーが問題視されているようです。
なぜでしょうか。

Googleの新プライバシー・ポリシーが、何を目的としたものかを
確認します。
私の理解では、ユーザーがGoogleの様々なサービスを利用した際に
Googleが取得した情報を、個々のユーザーの名前に結び付けて一つに
集約し、利用することを可能にするものです。
これにより、将来は、例えばこのようなことが可能になると思われます。

今日は日曜日だ、少し散歩をしよう。
お腹がすいたな。
でもこの近所にどういう店があるのかわからない。
どこに行けばいいのだろう。
と思ったら、スマホにさっそくこの近所に私好みの
レストランがあることを伝える広告が送られてきたぞ。
入ってみた。
おいしかった~

一人一人の嗜好、その時の居場所等のすべての情報をGoogleが把握して、
その人がその時に最も欲するであろう情報を的確に送ってくれる
ようになる可能性があるわけです。
そういうサービスが実現したら、好みの店を選ぶ手間が省けるし、
外れの店に入ってしまいがっかりすることもなくなるでしょう。
非常に便利ですね。

でも、便利というだけでいいのでしょうか。
というのが、今回の話だと思います。

考えてみると、私なんかは、自分がどういう好みを持っているか
さほど自覚していません。
また、過去に何を買ったか、何を食べたのかなんてことは、
すぐに忘れてしまいます。
ところが、生活全般をGoogleのサービスに依存するようになると、
Googleは私の生活全般の情報を集めるようになります。
そして、けっして忘れません。
Googleは、私自身よりも、私のことを把握している存在になるということです。
いわば、Googleが私の知らない私の「真の名」を知るということです。

ふらふら散歩して、昼時になったら、ちょうど好みのレストランの広告が
スマホに届いた。
その店で食事をした。
満足した。

得ているものは明確です。面倒な情報収集が必要なくなりますし、
失敗のリスクも小さくなります。
では、失ったものは何でしょうか。
それは、偶然性であり、実質的な選択の自由だと思います。
偶然性にさらされつつ、自らの責任で選択をし、
失敗する自由です。

野生の動物は自由ですが、常に危険に囲まれて生きています。
自由とはリスクを伴うものです。
それに対して、家畜は危険からは逃れることができていますが、
自由はありません。

私が、Googleが提供するサービスを全面的に享受するようになった時、
それでも私には主体性が残っていると言えるのでしょうか。

自由、偶然性、主体性と引き換えに必然性と快楽を得る。
これは是か非か。
Googleの新プライバシー・ポリシーの問題の本質は、
こういうことだと思います。
さて、あなたはどちらを選びますか?


私?
私は読まずにOKボタンを押してしまったような、、、
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