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福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

ワイシャツのボタンが取れてしまったので、お店に持っていって
修理をお願いしました。
修理を待っている間に時間つぶしのために入った書店で
「緊急出版!」とのPOP付で平積みになっていたこの本を見かけ、
買ってきました。

いや、これ読み応えがあります。
最初のあたりだけ読んでみるつもりが、結局、最後まで
一気に読みきってしまいました。

この報告書について、マスコミは、「「情報来ない」「もういい」・・・菅氏の混乱指摘」(読売新聞)、
「混乱原因は「菅」より「官」 民間事故調査報告書が伝えたこと」(東京新聞)
などと報道していますが、私が読んだものと同じものを読んだ上でのコメントとは、
信じられません。
私は、この本のエッセンスは、冒頭の委員長メッセージと最終章に書かれた
以下の言葉にあると思います。

「安全神話はもともと立地地域住民の納得を得るために作られていったとされますが、
いつの間にか原子力推進側の人々自身が安全神話に縛られる状態となり、「安全性を
より高める」といった言葉を使ってはならない雰囲気が醸成されていました。
電力会社も原子炉メーカーも「絶対に安全なものにさらに安全性を高めるなどということは
論理的にあり得ない」として彼ら自身の中で「安全性向上」といった観点からの
改善や新規対策をとることができなくなっていったのです。」

「じょじょに作り上げられた「安全神話」の舞台の上で、すべての関係者が
「その場の空気を読んで、組織が困るかもしれないことは発言せず、流れに
沿って行動する」態度をとるようになったということです。これは日本社会独特の
特性であると解説する人もいます。しかし、もしも「空気を読む」ことが
日本社会では不可避であるとすれば、そのような社会は原子力のようなリスクの
高い大型で複雑な技術を安全に運営する資格はありません。」

「なぜ、原子力発電所の事故への備えがこのように不十分だったのか。
おそらく、過酷事故に対する備えそのものが、住民の原子力発電に対する
不安を引き起こすという、原子力をめぐる倒錯した絶対安全神話があったからだと
思われる。」

「人々の「小さな安心」を追い求めるあまりに、国民と国家の「大きな
安全」をおろそかにする原発政治と原発行政が浸透した。その「安心」レベルを
超える「不安と誤解」を招きかねないリスクは「想定外」という言葉で排除された。」

「津波の襲来は「想定外」ではなかった。多くの研究がそれを「想定」していたのに、
東京電力は聞く耳を持たなかった。要するに東京電力の「想定が間違っていた」ということ
である。」

「3月15日未明の東京電力の「撤退」事件とそれに触発された菅首相以下
官邸政務中枢の暁の東電本店乗り込みと対策統合本部の設置は、最後は国が
責任を持って事故の収束に当らなければならなかった真実を物語っている。」

「過酷な原子力事故が起こった場合の国の責任と、その際に対応する実行部隊の
役割を法体系の中により明確に位置づけなければならない。将来的には、
米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)に匹敵するような過酷な災害・事故に
対する本格的実行部隊の創設を目指すべきであろう。」

「究極のところ、原子力(核)は、いったん事故を起こすと人間の命に
重大な脅威を与える人間安全保障の問題だけでなく、国家の根幹にかかわる
国家安全保障の課題であり、世界の安全とセキュリティを脅かす国際的
安全保障の問題である。」

「国民を守るのにどこが最後に責任を持つのか、それを誰が決めるのか。
(中略)福島第一原発事故は、日本の戦後の歴史の中で「国の形」の
あり方をもっとも深いところで問うたとも言える。」

言霊に振り回されて、有事を真剣に考えてこなかった結果が、
今回の事故であるということでしょう。
「菅」が悪い、いや「官」が悪いなどと、つまらないことを言い争っていても
しかたないと思いますけどね。


福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書
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