知ったかぶりの愉悦

ちょっと昔、やたらと「ポストモダン」という言葉を見かけました。
最近見ないですね。
なんででしょう。
その理由の一部は、アラン・ソーカル他「「知」の欺瞞」という本のせいかもしれません。

アラン・ソーカルという人物は、物理学者なのですが、1994年にカルチュラル・スタディーズ誌
「ソーシャル・テクスト」に「境界を侵犯すること」という論文を投稿したことによって、
「ソーカル事件」と呼ばれる事件を起こしました。
彼が投稿した論文は、見事に雑誌に掲載されたのですが、実は、それは、
著名なフランスやアメリカの知識人たちが書いた物理学や数学についての
でたらめな文章を寄せ集めたパロディー論文でした。
一部のポストモダン思想家が、物理学や数学の概念を誤用・濫用していることを
揶揄するために、悪戯をしかけたということだったのです。

「「知」の欺瞞」は、この悪戯を敷衍して、①ラカン、クリステヴァ、イリガライ、ボードリヤール、
ドゥルーズといったポストモダン思想家たちが、いかに物理学や数学の概念を誤解して
使用しているかを指摘し、さらに②客観的実在主義を批判する認識的相対主義を批判した本です。
ソーカルの批判に対して、ポストモダン陣営は有効な反論をすることができませんでした。
それだけが理由ではないのでしょうが、その頃を機にポストモダン思想は
あまり流行らなくなってしまったというわけです。

ところで、上記②の批判に関連して、ジェームズ・ロバート・ブラウン「なぜ科学を語ってすれ違うのか
ソーカル事件を超えて」という良作が出版されており、実は私はそっちの本を先に読んでいました。
で、その本の中でソーカル事件のことはかなり詳しく描かれていたので、「「知」の欺瞞」の方は
読まなくてもいいかなと思っていたのですが、つい最近文庫化されたので、読んでみたのです。

さて、サイエンス・ウォーズとも言われる科学をめぐる客観的実在主義vs認識的相対主義の論争について
興味がある方には、「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」を一読することを
お勧めするとして、今回、語りたいのは、「「知」の欺瞞」の不真面目な読み方です。
本書は、偉そうな思想家が知ったかぶりをして恥をかいたというジョーク集として読めます。
いや、かなり笑えます。
ソーカルは、ポストモダン思想家が、物理学や数学の概念を間違って引用している理由について
いくつか推測しています。
しかし、私からすると、肝心の理由を挙げていないように思います。
知ったかぶりってのは楽しいんです。
自分が知っていることを書くのは退屈です。
特に当たり前と思っていることを丁寧に書くのは、苦痛な作業になりかねません。
それに対して、何だかよく分からないことに言及することは、一種の挑戦であり、
楽しいのです。
ポストモダン思想家たちは、その誘惑に負けたという面があるのではないかと想像します。
そう、私もその誘惑に負けて、こんなことを書いているわけですし。


「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
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知の欺瞞

 物理学者であるN・デイヴィット・マーミンなんかは、同じ物理学者であるソーカルに対して、そこまで批判しなくてもと言ったニュアンスで嗜めているようであるが、学問の世界の場での論争なのだから、いちがいソーカル達がやり過ぎであると言うことはできまい。寧ろ、お互いに学問のレベルで批判しあうことが誠実な在り方だとおもわれる。
 観る限りソーカル達は間違ったことを言ってはいない。
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